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「神様王権即位式」における御言

Writer's picture: Sun Myung MoonSun Myung Moon

「神様王権即位式」における御言

成約九年 2001年1月13日

天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿

「神様王権即位式」での真のご父母様の祈祷とみ言。

初めの祈祷 きょう、新千年を迎えて十三日目を迎える日、真の天上父母の王権即位式を挙行しようと思う次第でございます。

全天宙の万象とすべての存在と、祝福を受けた天上の先祖たちと地上の後孫たちが一心一体となって、歴史的な恨と蕩減の時期を超えて、第四次アダム圏心情時代を迎えることにより、新しい天上世界において地上と天上が連結された天国の門を開くことのできる時代を迎えるようになりました。

偽りの父母が誤った結婚をすることによって、真の愛に反対し、真の生命と真の血統に反対する恥ずかしい歴史が始まり、その恨の歴史を経てこられることに苦労された万軍のヤーウェであられる天のお父様。

今まで、父となられ、師となられ、王となられるべきおかたが、蕩減と受難の道におかれていましたが、真の父母がこの地上に来て、その解放を願いながら、偽りの父母のすべての失敗に責任を持ち、蕩減の歴史を経て、八段階の勝利の権限を立てることによって、偽りの父母の実践の場となっていたすべてのものを天が受け継ぎ、そして、その勝利圏を中心として、真の父母が最高の基準において、血統を転換する祝福儀式を通して、万国と全天宙を連結させ、その愛の祝福の恩賜によって、解放的基盤を連結させた心身紛争の解放、夫婦の解放、父子関係の解放、兄弟関係の解放、国と国の解放を経て、天上世界と地上世界をふさいでいる、すべての壁と国境が崩されました。

よって、この蕩減基盤の勝利の上に、あなたが本然の創造理想で願われた自由解放的世界を立ててくださり、ごらんになるすべての世界が、今から新しい天国となり、地上から天上世界まで一元化された真なる家庭、真なる氏族、民族、国家、世界、天宙となり、解放された地上、天上天国を連結した勝利を、真の父母の権限と真の師の権限と、真の王権のすべてを代表した天地の大創造主であられるご主人の元に結束し、このすべてのことを再び奉献しようと願う、この式典を喜んで受けてくださるよう、お願い申し上げます。

天上世界にいる、すべての天軍天使たちと祝福を受けた家庭と、地上にいる、真の父母と連結されたすべての中心家庭を連結した祝福家庭が、地上を中心として兄弟の因縁を持ち、長子権復帰を再び復帰した中で、地上の長子の隊列に立ち、真の父母の特権的権限を中心として、堕落したすべての世界を、個人から天宙まで転覆させた勝利の解放圏を迎えることによって、天地の真の父母を中心とした、解放的真の父母と、地上の解放的真の子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠なるあなたの願いであるみ旨を蕩減、解放することによって、今から真の父母が、あなたをお迎えして、本然の基準に即位することができる喜びの式典を奉献しようと願う次第でございます。

お喜びの心を持って歴史を忘れ、解放された勝利の基盤の上に立ってくださり、創造本然の心情を備えた愛以上に一体化することができる勝利圏を中心として、万宇宙にあなたの国の権限を行使することができる、全体、全般、全権、全能の解放式の祝典を奉献し、あなたが本然の立場に即位なさることができる、この式を奉献いたしますので、喜びの中で受け入れてくださることをお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によって懇切に報告いたします。アーメン。 アーメン。 アーメン。 それでは、ただ今から、天上にいらっしゃる興進君と祝福を受けた先生の家族と聖人たちの家族が、神様をお迎えして地上に臨在され、座席に定着いたします。 「神様王権即位式」宣布の祈祷 (録音状態不良で前の一部分は整理できず)

愛するお父様。旧約時代、新約時代、成約時代に願われたすべてのもの……。イエス様が願った国家を超え、世界を超え、今では国連を中心として、神様が来臨なさることができる全人類を代表したNGO(非政府組織)の基盤の上で教育を終え、WANGO(世界NGO協会)の組織を中心として、世界平和超宗教超国家連合と連結し、地上に天の国を代表した主権を立て、国民を立て、地を立て、天上と地上に、あなたの祖国光復のための基台を準備した後に、今、この清平においては、地上の祝福を受けた家庭が、先祖の代を受け継ぎ、入籍という祝福の恩賜を受けることによって、南北統一の限界線を越えて、世界へ行くことのできる世界的入籍をなし、イエス様のイスラエル圏勝利、旧約時代に、万物を中心とした分立の役事を通して踏み越えていき、新約時代に息子、娘を中心として踏み越えていき、そして、祝福家庭を中心として、サタン世界と区別し、天の血族として、個人的家庭から八段階まで、すべての家庭が、あなたの愛の標準を中心とした、モデル的基準としての主人の立場に立つことができる時代を迎えるようになりました。

このことにより、偽りの父母によってゆがめられた、地上のすべてのものが、真の父母によって蕩減復帰され、地上と天上世界をふさいでいた数多くの壁が、この基準まで開放され、解放的権限を持つことによって、万民と万家庭、万氏族、民族、国家、世界が、今から一つの帰結点と真の父母との心情因縁を備え、総生畜献納という名を中心として、今からすべての被造万物は、失ってしまったものを蕩減復帰し、真の父母の名とともに、お父様の前に全体を奉献することができる新千年の十三日を迎え、このように奉献することができるようになったことを感謝いたします。

神様は、もうお座りになってくださり、あなたの権限を行使され、全被造万物を主管することができる主人の立場に、主人だけでなく王圏の基準にお立ちになり、霊界と肉界、過去の三時代を越えて、自由自活の立場にお立ちになって、アダム家庭において成し遂げようとされた、あなたの創造理想をすべて飛び越え、整備された基盤の上に、このすべての天地が一つとなった世界的途上の上で、祝福家庭たちが一時に、あなたの愛の権限に属することによって、王権即位式とともに、あなたの国に属することによって、自己主張することができる時代へと入城いたしましたので、お父様、万世にあなたの栄光をもたらし、勝利の栄光が、全天宙に満ちあふれるよう、許諾してくださることを懇切に、懇切に、懇切に、真の父母の名によってお願い申し上げます。

この時間、「神様王権即位式」の即位権限を、真の父母が再び蕩減復帰して取り戻し、あなたの本然の基準である権威の位置に奉献いたしましたので、お父様、この日を期して、真の父母が約束し、宣言した、そのすべての基準の上で行使なさることができる、自主的な解放的天下を、あなたの愛の圏に連結してくださることをお願いしつつ、この式を奉献することができることを感謝いたします。

このすべての式典を喜んで受け入れてくださったことを感謝しながら、霊界で祝福を受けたすべての家庭と、地上で祝福を受けたすべての家庭が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を成す伝統を中心として、継続する真の父母の血族が、万代の血統を中心として、そして人を中心として、公的な万物を中心とした三大要件を神様の直属の前に付加いたしますので、その上で、万世を太平盛大に導くことができる王の中の王、「神様王権即位式」の主人となられることを、真の父母は、千万年歴史を超える心をもって宣布いたしますので、宣布したとおりに成就されたものを受け入れてくださることをお願い申し上げます。

真の父母の懇切な心と、懇切な心情ですべてを報告し、宣布いたします。アーメン。 アーメン。 アーメン。

一緒に感謝してください。「感謝します」(「感謝します」) 真の父母とともに、万世の王圏をもって主人となられますように。 「神様王権即位式」宣布後の祝祷 愛する天の真のご父母様の前に、きょうの栄光の日、地上にいる人類が一つになり、地上の真の父母と、天上と地上の、祝福を受けたすべての家庭と一心一体となって、二〇〇一年を中心として、三〇〇〇年に向かって出発する年頭に語った内容と同様に、「解放された天地父母と解放された子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という年頭標語とともに、神様と地上の真の父母が一体の心情を備え、この標語を中心として、新千年すべての人類の前に宣布した言葉として、万有の存在が受け入れ、地上が今から(聞き取り不可能)することができる根となった時代を迎えましたので、今日、祝福を受けた家庭は、天地の王権に侍る直系のアダム完成の立場に立つことによって、万国万象を代表した立場で、天の前に報告するときにも、祝福の中心家庭だれだれの名によって懇切に報告するという、新しい歴史時代を迎えました。

サタンと神様が分け合わなければならなかったという、この恨めしい事実、新約時代にイエス・キリストを中心として心と体が分かれ、心に当たる霊界の整備と、体に当たる肉界の整備を残しましたが、その霊肉を統一することができる時が、第二次大戦後でした。

霊肉を統一してすべてを蕩減復帰し、この地上に本然の理想世界を完成して、地上の真の父母の名をもって天上の真の父母を解放する立場で「神様王権即位式」をすることができなかったという事実を、今、四十年という歳月を経て、再び、第二次大戦直後に旧教と新教が一つになることができなかった舞台を、東洋と西洋が一つになることができなかったことを蕩減した基準を立てて蕩減復帰し、第二次大戦直後に、キリスト教文化圏において、カインとアベルである旧教と新教が一つになって受け入れることができなかったことを、今、この時に、八十歳の誕生日を超え、二〇〇〇年を超え、新しい三〇〇〇年に向かって出発するこの最初の年、イエス様の十二弟子と中央の数で十三数、イエス様が失敗した恨の歴史を再び歩んで整備し、ローマだけでなく、世界だけでない地上、天上天国の解放圏を備え、十三数の中心の日を定めて、このような神様の即位式を挙行するようになりました。

今から、二〇一〇年、あるいは一二年までのこの期間に、これまで、地上から神様の前に奉献してお返しした総生畜献納物を、再び地上に戻して受け取ることができ、地上の統一天下、地球星は、あなたの故郷であること、あなたの祖国光復を宣布することができる、その時まで、あらゆる精誠を尽くすために、南北韓の統一を中心として、国連の統一と天上、地上世界統一の一線上に立ち、平均、平面上で連結させることができるという、切迫した最後の整備時代を迎えました。

「神様王権即位式」を挙行いたしましたので、全体、全般、全権、全能を行使なさり、あなたが願われるすべての霊界を動員し、地上解放を迎えることができる自主張時代を迎えましたので、その自主張権限を、地上と天上世界の歩調を、地上の真の父母が天地に合わせ、その勝利の大解放時代を望みつつ、新しく一月から全世界、天上世界の祝福を受けた家庭が一心一体となって、地上定着のためのアダム圏地上基盤を中心とした長子の位置と、父母の位置と、王圏の位置を、天上世界の代を受け継いでいく基準において長子権復帰、次子権復帰が成し遂げられ、次子の権限が長子の権限を代身することができる天地開闢時代を迎えました。

最後尾にお立ちになった神様が、真の父母によって再び真の父母を迎え、最後尾ではなく、先頭に立つことができる即位式を挙行いたしましたので、あなたが願われるみ言の内容はすべて宣布され、天の国の構成において、個人の統一問題、家庭の統一問題、氏族、民族、国家、世界、天宙の統一問題、すべての問題を知っておりますので、今からは実践躬行し、その実体圏を地上に成し、真の父母の名と天の真の父母の名を奉り、最後の勝利的権限をすべて備えた祝福家庭、中心家庭として、すべてを終結させることができる、天宙が願う解放の時代に前進することを許諾してくださいますように。

そのようにすることによって、天の真の父母と地の真の父母の主権国家を中心として、万々世の太平盛大な王圏を勝利し、万民皇族圏の、あなたが理想とされ、神様に侍る天上直系の子女たちが、すべての地上と天上の祝福家庭たちの上に、一律的な恩賜を分け与えてくださることを、真のご父母様は、この日を期して願いますので、特権を持たれた王圏王座にいらっしゃる神様の権限として、このすべてのことを約束とともに実践してくださることを、懇切に、懇切に、お願い申し上げます。

明日から出発することは、統一家のすべての祝福が勝利の覇権的旗印を掲げ、万国を治めることができる天の国の大使と、天の国の総督の名を持ち、一方通行、勝利、勝利、万世に前進することができる解放者となることを許諾してくださることを懇切にお願い申し上げ、天の真の父母と地上の真の父母が、共に一体となる、この場を通して懇切に報告、報告、報告、報告、宣布、宣布、宣布いたします。アーメン。 アーメン。 アーメン。 感謝いたします。

(飲福〔祭祀の供え物を分けて食べること〕されながら)地上天上天国が完成されるのです。分かりますか? 御言

きょうは、どのような記念日ですか? (「『神様王権即位式』です。」)おかしな言葉ですね。「神様……」、何ですか? (「王権即位式です」)どなたの即位式をしたのですか? (「神様です」)だれが即位式をしたのですか? (「真のご父母様です。」)

それは、真の父母だけでできますか? 天と地にいる、すべての人たちが国を持ち、祝福を受けて一族となり、血筋が一つとなった単一民族となったので、このような式をすることができるのです。

ですから、それをするために、今まで数多くの宗教圏が……。宗教圏の中でキリスト教を中心として、ユダヤ教から第二イスラエル、それから韓国まで、第一次、第二次、第三次イスラエル圏、旧約時代、新約時代、成約時代まで越えてきました。「成約」という言葉は、万物から始まり、すべてが祝福を受ける時代である、ということです。

神様によって先につくられた被造万物は、人類の先祖が堕落することによって、祝福圏内に立つことができませんでした。それで、救援摂理の道を通して、キリスト教を中心とした数多くの宗教を立てて、万民を教育して、段階的に引き上げながら成約時代を迎えるようになったのです。

しかし、主流思想ではない他の系列の宗教は、そのようなことを知りません。それゆえに、ユダヤ教とキリスト教だけを中心として、神様を人類の父として侍ることができる道を築いてきたのです。

そして、イエス様がいらっしゃることによって、初めて独り子という……。アダムとエバが失敗した歴史時代において、初めて神様の愛を受けることができ、血統的内容を中心として、初めて地球星に失ってしまった神様の独り子、長男が生まれたのです。

その息子、独り子は生まれたのですが、“独り娘”がいません。神様は、四千年間の救援歴史を通して、多くの苦労をされましたが、それは、アダムを再び創造されたことと同じです。

アダムをつくられたので、その次はエバをつくられるのですが、エバは、アダムをまねてつくるのです。相対となることができるように、まねてつくるのですが、それはどういうことかといえば、アダムをつくった原則、ブループリント(青写真)を中心として、それをまねてエバをつくったというのです。

聖書を見ると、男性のあばら骨を取って女性をつくったということが書かれていますが、それはどういうことでしょうか? それは、“骨子”をまねてつくったということです。

このようにして、地上で失ってしまったアダムを、神様の直系の愛の血筋を通して独り子として取り戻したのですが、エバは取り戻すことができませんでした。このエバを取り戻せば、今までの堕落以降の歴史を再び、家庭から復活させて接ぎ木することができるのです。

そして、国を建てるために準備してきたものが、ヤコブから始まったイスラエル民族でした。ヤコブの十二人の息子、娘が着地して、イスラエル民族として出発し、その勝利の版図を、イエス様が来る時までの二千年間拡大させてきたのが、イスラエルの国とユダヤ教だったのです。 イスラエルの国は、外的なカイン型であり、内的なアベル型はユダヤ教でした。そのカインとアベルの基盤の上で、霊的、肉的に父母の責任を果たすことによって、カインとアベルを収拾することができる母を選択して、主を待っていなければなりません。

そうして、母を選択して、そこにイエス様を迎えていたならば、霊肉が一体となった真なる父母を迎え、霊肉が一体となったイスラエルの国とユダヤ教が、カインとアベルの立場で父母と一つにならなければなりません。

そして、その一つになって祝福された家庭を中心として、氏族を編成し、民族を中心として国家まで編成するようになれば、だれもこれを否定することはできません。

いくらローマが世界を支配していたとしても、それを中心としてぶつかれば、外的なものは“肉”と同じなのであり、内的なものは“骨”と同じなので、骨にはかなわないというのです。

そのような立場に立てば、イスラエルの国を中心として万国統一し、神様の解放も、今から二千年前に成し遂げることができたのです。

ところが、イエス様が、相対であるエバを復帰して家庭を成すことができなかったので、国家基準を成すことができるように準備されたイスラエル民族の選民圏が、すべて崩れてしまいました。根こそぎ崩れたというのです。

ですから、イスラエルの国が、国を建てるために準備した民の基盤が、すべて死んでなくなってしまったので、イスラエルの国はなくなってしまいました。そして、祝福された民族であるのにもかかわらず、七世紀に入って、イスラエル民族がエジプトから中東に帰ってきて、そこで、その中心民族の中からイスラム教が出てきたのです。イスラム教です。兄弟なのですが、イスラム教が反対する立場で現れたのです。これは兄弟です。

イシマエルとイサクは、アブラハムの直系の後孫として、兄弟の関係なのですが、この兄弟が“怨讐となって闘う”という歴史が展開したのです。エルサレムを中心として、十字軍とムスリム(イスラム教徒)が闘い、キリスト教がイスラエルを奪ってしまったのです。そのような歴史は、皆、知っていることです。

奪われたイスラエルを、再び取り戻さなければなりません。カインとアベルの闘いによって奪われたのですが、イエス様の時代に、国家基準でカインとアベル、左翼と右翼の立場で平和の基準をつくっていたならば、カインとアベルの闘争歴史は、霊界でも地上でも、すべて解決されるはずでした。

しかし、父母を中心として、国家基準の形態を準備したイスラエルが、亡国の僕となることによって、その果たすべき使命を受け継いで、「再臨」という言葉を希望としてきたのです。

本来、キリスト教は、第二イスラエルを中心として、世界版図、ローマ圏を支配することができ、乗り越えることができる世界版図圏を持つことができました。しかし、イエス様の体を失ってしまったので、霊界を中心とした基準において、霊的基盤を築いてきたのです。

これが、終わりの日の第二次大戦において連合国と枢軸国が戦い、ついに連合国が勝つことによって、キリスト教文化圏が世界を統一したのです。

世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代となり、怨讐の世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が、天の側の世界に帰属することができるようになるこの基盤を中心として、カトリックと新教が一つになった立場に立ったのです。

その基盤の上で、キリスト教文化圏を代表して、降臨される再臨主を迎えていたならば、そのときから統一天下の運勢が起き、三年半ないし七年間、一九四五年から一九五二年までに統一天下を成し、そのときに神様の即位式は終わっていたのです。分かりますか?

ところが、キリスト教が統一教会を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、私たちを全面的に妨害して、追い出そうとしているのです。それは、第一次イスラエルであるユダヤ教が、キリスト教を妨害して、最後まで反対しながら滅びる立場に立つようになったことと同じであり、それでキリスト教は、統一教会に反対して、滅びる立場に立ちました。そうして、宗教圏がすべて滅びる立場に立ったのです。

何ですか? キリスト教が滅びる立場に立つと同時に、それ以外のアジア圏にあった仏教や儒教、そしてイスラム教……。イスラム教は、後から出てきたのですが、宗教の形態は持っていても、今ではもう、すべて滅んだに等しいというのです。

滅ぶのは宗教だけではありません。家庭から、宗教から、社会から、国家から、全世界、どこもみな、地獄のようになってしまいました。神様が理想とされた愛の理想圏というものは、地球星において見いだすことができない、という結果になったのです。

本来ならば、アメリカのような大国に行けば、神様が訪ねていくことのできる息子が、心と体を一つにして、娘と一つとなって、神様が願われる、堕落していない本然の夫婦となり、心と体が闘わない真なる家庭をつくらなければなりませんが、そのような家庭は、ないというのです。

本来、そのような夫婦によって息子、娘が生まれなければなりません。しかし、父母と息子、娘が闘わない家庭はありません。すべて分かれているのです。個人主義化してしまったこの世の中には、神様の相対理想がありません。

しかし、すべてがペア・システムになっているのです。鉱物世界もペア・システムであり、植物世界もペア・システムであり、そして動物世界もペア・システムなのです。天と地も相対となって一つになるべきなのにもかかわらず、すべてが分かれてしまったので、反対になったということです。反対になってしまったのです。

それを、どのようにして引っ繰り返して、合わせるのですか? それは、だれがしなければならないのでしょうか? 蘇生、長成、完成における蘇生的アダム家庭において失敗し、長成的メシヤも国家的基準において失敗したので、国家的基準においては、いずれにせよ失敗の内容を取り戻すことができません。

ですから、ローマ、世界の限界線を越えなければなりません。世界まで越えていかなければならないのです。

イエス様が、国家を取り戻して越えていくべき峠が、世界的舞台であったので、世界的舞台に向かって越えていかなければならない時が、必ず地上に訪れるのです。

世の中は、すべて滅びる立場に立ち、宗教もすべて滅びる立場に立ちましたが、再臨主は国家基準を超えて世界まで……。再臨主は、イエス様の理想を超えるので、来られる再臨主の実存的基盤というものは、国家的基準ではなく、世界的基準でキリスト教文化圏を相続しなければなりません。

相続されるべき立場に立っているキリスト教、カトリックと新教自体が闘うことによって、統一するということは考えることもできないのです。ですから、これを統一する時まで、この闘いは必ず続き、続けば続くほど、宗教圏は滅び、最後の日には、道もなく、手も出すことができないので、しかたなく、主人であるメシヤの所に来て、しっぽにしがみつくようになるのです。

そして、どのようになるのかというと、宗教も失ってしまい、世界も失ってしまい、国も失ってしまい、社会も失ってしまい、家庭もすべて失ってしまったので、「だれがおじいさんなのか? だれが父母なのか? だれが夫婦なのか? 子女が何だ?」と言って、すべてを否定する時代に入ってきたのです。

それゆえに、「どこに天があり、どこに神様がおり、どこに宗教があるのか?」と言って、すべて否定するのです。「どこに社会があるのか? どうして家庭が必要なのか?」と言って、すべて動物のように、ペア・システム……。

人間においては、そのペア・システムが、子供を生むために機能しているのでもありません。動物は、子供を産むためにペア・システムになっているのですが、人間は、動物よりももっと悪いのです。ペア・システムの基準が、一時的な享楽というものになり、そこには“永遠”という概念がないのです。男性も女性も、堕落した天使長のように、神様の理想的な愛の基準とは、完全に懸け離れた個別の立場に堕ちていきました。

ですから、愛の道を訪ねていって、すべてのものを踏み越えていくことはできません。人間の本性的な愛の道というものは、神様と一体となることができる道がないかぎり、人間の欲望や人間の修養や決心をもってしては、最後まで、この情欲を克服することはできません。

それゆえに、悟りの道を行く人がいるとすれば、サタンが霊的に試験するのです。美男子が修道の道を行って、天性に近づいていくことができる立場に立ったとすれば、美女がやってきて、抱き抱えて試験するのです。そして、「わたしを抱いてください。」と言うのです。

しかし、「ぎゅっと抱いてください。」と言うときに、抱いてあげれば、それで終わりなのです。男性であれば美女が現れ、女性が修道の道を行けば、男性が……。男性は天使長の立場なので、「抱いてください。」とも言いません。ですから、そこで目を開けているだけでも終わりなのです。

このような闘いを中心として、愛をもって霊的、肉的に生死の判決を下すということは、悟りの道を通して霊的体験をしなければ、どれほど克服し難い問題であるか分かりません。また、それがサタンの活動舞台の中の活動舞台になっているということを知らなかったのです。

しかし、神様は、この活動舞台を奪って、理想の位置に返さなければならないということをご存じであり、千辛万苦して、万々世、繰り返してでも続けていかなければならないのです。ですから、宗教のみ旨を立てようとされる神様は、今まで力なく、失望に失望を繰り返してこられたのです。

そのうえ、繰り返したとしても、上がっていくのではありません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで行って、降りていくときには、国家の基準から氏族の基準に、氏族から家庭以下に落ちていくのです。このようにして、どん底まで落ちていき、ここで失敗すれば、他の所に回っていくのです。ですから、復帰歴史は数千万年かかったのです。

それで、旧約時代の二千年が霊形体ならば、霊形体級になるまでは、上がっていく方法がありません。二千年という限界線が再び訪れるまでは、だれかがそこに穴を開けて、生命体圏まで上がっていくことはできないのです。

蘇生、長成、完成の三段階に分かれた復帰歴史においては、一つの基準を満たすまでは、岩の峠道を巡り巡っていかなければならず、東洋で始まれば西洋で始まり、天で始まれば地で始まり、そのように一つにならなければ、つぶれてしまうのです。

そのような転換期において、それぞれ宗派なら、宗派や文化背景が異なるので、東洋と西洋、東西南北四方で、メシヤの代理的責任を持って、世界人類を収拾してきた歴史的な宗教形態が、仏教や儒教、イスラム教、キリスト教であったのです。分かりますか?



それでは、再臨主とはだれなのかというと、それは“真の父母”です。真の父母は、何を持ってくるのですか? 真の愛と真の血統を持ってくるのです。分かりますか? 偽りの父母とは何ですか? 偽りの愛と、偽りの血統をもたらすのです。

本来の堕落していない本然の世界においては、神様を中心とした家庭を成さなければなりません。真の息子、娘の家庭を成そうとすれば、血統が連結されなければなりません。

真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と、血統が連結されなければなりません。「父」や「父母」という言葉と「子女」という言葉は、血統が連結されなければ、絶対に成立することは不可能です。それは、神様も分けることができません。堕落したサタンも分けることができません。それを蕩減復帰しなければならないのです。

偽りのオリーブの畑であっても、本然の基準である真なる神様の血統に接ぎ木して、真のオリーブの木の愛を中心として、一心、一体、一念となって、生死の境を出入りしなければなりません。

個人的な生死の境、家庭的な生死の境、国家、世界、いかなる犠牲があるとしても越えていくという、そのような心情を持った人には、サタンは関与することができません。国家以上の基準に越えていけば、すでにこれは、蘇生圏、長成圏、完成圏に入り、直接主管圏内に入っていくので、サタンとは関係を結ぶことができないのです。

ですから、イエス様も、もし結婚して相対理想を成していたならば、亡くなられたりはしませんでした。殺すことはできないというのです。これは、相対理想の直接主管圏に連結することができ、原理で言えば、責任分担を完成した基準になるので、直接主管圏内に入っていくのです。

直接主管圏は、神様の血統が連結されており、サタンには、それを断ち切る術がありません。そこに向かう過程において、心情一致することができる位置に行くことができずに、堕落したことが問題なのであって、アダムとエバが夫婦となって、愛し合ってさえいれば、堕落はありえないというのです。永遠に堕落することはできません。堕落できないのです。

しかし、この過程で実が実りませんでした。実が実っていないのに、実のように思って、いくら土に埋めたとしても、芽は出てきません。ですから、永遠の生命がないのです。そのような、死んだ生命を処理する所が、地獄です。そこは、神様とは関係がないのです。

それゆえに、“父子関係”というものは、何が問題なのですか? 父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、そのままでは連結できません。父母の血統が、そのまま一人のままでいるでしょう? 一人でいるのです。一人で血統が連結されますか? この血統は、男性の血だけでは連結できません。男性と女性が、一つにならなければなりません。

宇宙の根本道理は、性相と形状の血統が一つになった、その位置で創造したということです。つまり、性相である心が喜べば、形状である体も共に喜ぶことができる位置で、人間を創造したというのです。

それと同じように、見えない形態が、見える実体を迎えることによって、爆発が起きるのです。水を温めれば湯気になり、湯気をもっと温めると、水蒸気になって完全に見えなくなるのです。それと同じように、目に見えない神様であっても、とても熱い位置にいる神様が、見える実体とぶつかり、冷たいものとぶつかれば、爆発するのです。

ですから、愛を中心として性相と形状が球形を成していますが、それは内的な運動であって、外的に現れないので、神様ご自身は、刺激を感じることができません。しかし、この実体である刺激的な相対が生まれることによって、熱いものが冷たいものとぶつかるので、爆発するのです。分かりますか?

心と体が、内的に血統を通して愛と和合し、生命と和合して絡み合っているのですが、その瞬間には、心と体のそれぞれが、お互いに共有できない喜びを感じているので、その喜びを一緒に感じることはできません。これが、相対的実体と一つになって刺激を感じることによって、爆発するのです。天地が爆発すれば、運動が展開するのです。

愛というものは、ぴたっと、軸を中心として運動が展開するので、“永遠に愛そう”という心さえあれば、永遠に回転することができるのです。ですから、中心に神様をお迎えして暮らすことができる家庭となり、その家庭が、永遠に運動することができる原動力に従って、種が大きくなり、芽が出てくるのです。その芽が、神様と同じ本然の実の位置に戻ろうとするので、幹が伸びていくのです。

そして、そこに再び芽が出て、大きく生み殖え、東西四方に伸びた枝と枝に、実を実らせることができる環境ができるのです。そのような大きな木と同じように、アダム家庭のアダムとエバの実体を中心として実体的対象を繁殖し、それが東西南北四方、世界じゅうに満ちあふれ、天の国の民を繁殖することができる数多くの分工場を拡張することによって、天の民で満ちるのです。

霊界にいらっしゃる神様と、地上にいる実体の父母が協力して、それを地上で生産し、永遠に暮らすことのできる霊界で一体となり、天上世界の国と民と地を中心として、地上天上理想を完成していたはずなのです。分かりますか? (「はい」)

そして、これを今までキリスト教において、カインとアベルが一つになって、霊的基準で取り戻してきたのですが、体を中心として霊界を収拾したのであって、地上世界を収拾することはできませんでした。

地上世界を収拾しようとするので、すべての闘いを中心として、国家を超え、民族を超えて、単一民族を形成するために、第二次大戦後に初めて連合国が枢軸国を……。怨讐なのです、怨讐に勝利して、消化するようになるのです。

これは、カインとアベルが消化される時が来たということです。第二次大戦以後に、この基準において、アメリカを中心としたイギリスとフランスが受け入れていたならば、統一教会は一躍、三年以内に峠を越えていたのです。七年以内ですべて終わるのです。

このようになっていたならば、わたしたちが主張する地上、天上天国が、願いどおりに成し遂げられ、統一された民族形態の基盤の上で、霊肉界が分かれずに、一つになることができたのです。

霊と肉が、イエス様の時代に一つになることができずに、分かれてしまったので、再臨時代までの二千年間、苦労しながら蕩減して備えられた、勝利の覇権を引き継ぐことができる基準と、霊界の父母の位置に行ったイエス様が、二千年間、霊界を収拾して勝利したものとを、すべて一つにしなければなりません。

しかし、それを一つにするのは、イエス様ではできません。イエス様は結婚できなかったので、イエス様が結婚させることはできません。神様も祝福してくださることはできません。

これは何かというと、祝福をして、血統を転換してあげることができるのは、“真の父母”である、ということです。偽りの父母によって種がまかれ、神様とサタンが闘うようになったのですが、その闘いをとめるためには、真の父母が、その中間にさっと立ち、「あなたは、このような目的で闘うのでしょう? 神様は、このような目的で闘うのでしょう? それでは、わたしが、それをすべて入れ替えてあげます。」と言って、「入れ替えてもよい。」と言われれば、すべて終わるのです。

ですから、神様とサタンまでも和解させ、ユダヤ教と来られる主、それから周囲の宗教が……。イエス様が来られて、その家庭を中心として国家の和合が成され、主権さえ持つようになれば、その時に、すべてが終わっていたのです。

しかし、それが終わらなかったので、世界舞台において、第二次大戦以後に、この世界国家……。アメリカは、世界の第二次的なイスラエル圏です。ここで、第三次地上、天上の主権と覇権の主人として来られるかたに出会い、地上、天上統一の基盤が造成されていたならば、どうなっていたでしょうか?

そうなれば、これが一体となって、第三イスラエルの天国出発と同時に、第三解放圏である地上、天上天国解放が連結されていたのです。分かりますか? それが四十年間回り道をして、今日まで五十五年の歳月が過ぎたのです。五十六年目になりますか? そうでしょう? 

そして、きょう、この「神様王権即位式」を、すべて行うことができたということは、夢のような話です。

だれが、神様の即位式をしてあげるのですか? だれが、即位式を台無しにしたのですか?

神様が台無しにされたのですか、だれが台無しにしたのですか? サタンとアダムとエバが、それを台無しにしたのです。アダムとエバが真の父母になることができずに、サタンが入り込み、この地上に、真の父母の血統的基準を立てることができなかったのです。

彼らが堕落することによって、サタンの血統を残したので、これをすべて否定して引っ繰り返すということは、神様もできず、サタンもできません。今までサタンがつくってきた国を、自分で壊してしまうということは、難しいのです。だれでも、自分がつくったものをすべて改造しようとすれば、嫌がるのです。サタンも同じです。

神様が、それを引っ繰り返すことはできません。神様が引っ繰り返すことができるのならば、エデンの園で、神様がアダム家庭を失われることはなかったでしょう。いずれにしても、理論的にも、神様が手を出せないということは、間違いありません。

では、神様が手を出すことができないことに、手を出すことができるかたとは、だれなのでしょうか? それは、完成したアダムです。分かりますか? 「本然の愛の家庭を持つことができるアダム家庭は、どこにもない」ということが、分かりますか? (「はい。」)

今日、皆さんたち祝福家庭は、皆、「祝福の中心家庭だれだれの名によって……」と、祈祷するようになりました。「だれだれの名」とは、世界の代表なので「だれだれの名」なのです。そのときは、アダムの名によって祈祷しました。

千万後代の人たちは、アダム一人の実です。実というものは、いくら多くても、その実としての価値は、イコールです。同じものだというのです。分かりますか?

それゆえに、皆さんが祈祷するときに、「祝福の中心家庭……」、何ですか? 朱東文氏、何ですか? だれの名ですか? (「自分の名で……。」)「自分」とは、何ですか? 朱東文の名です。万国で競争しています。すべての祝福家庭が……。

すべてが「中心家庭だ」と言うのですが、全員が一等ですか? 千人が中心ならば、競争しなければならないのです。道場に行って闘うとか、相撲を取るとか、力くらべをして、闘わなければなりません。闘って勝ってこそ、一等になるのです。分かりますか?

ここに何双、何人が集まったのですか? (「四千人集まりました。」)四千人ですか、四千家庭ですか? (「四千人です。」)四千人ならば、それが四千家庭であるとしても、四千家庭の中での一等は、四千ですか、一つですか? (「一つです。」)

マラソン大会で、何百万人が走ったとしたら、一等は“何百万分の一”ですか、“何百万分の二”ですか? 何百万人の中での一等とは、何百万人の頂上なのです。その一等というものは、一等、二等、三等……。普通、何等まで賞を上げますか?

では、オリンピック大会でも、何等までメダルを与えるのですか? 金メダル、銀メダル、銅メダルの三つです。それも三数だからです。これは、原則がそうなのです。これは三段階です。すべてのものは三数です。三数が、一つの峠になっています。すべて三数になっているというのです。

そのことを見ると、良心的な人たちや精誠を尽くす人たちは、競技をしたとしても、自分でも知らずに天地の度数に合わせるようになっているのです。中央を知らないだけです。この周辺の中に入っているので、中央が分からないだけです。ここでは、度数に合わせるのです。ですから、十二か月も、すべて……。

今日の測定器を見ても、十二進法を使っているのです。その十二進法を中心としては、十二か月自体が中心ではなく、その中心がなければなりません。

三百六十度に回っていくにおいて、中心がなければ、三百六十度を見分けることはできません。ゼロ点がなければなりません。ゼロ点は、位置を固定しなければなりません。永遠に変わらない位置を備えた定着基盤なくしては、三百六十度の方向が、すべて混乱してしまうのです。

中心が問題です。復帰完結も、中心なくして復帰完結することができますか? 「祝福家庭の中心」とは、何ですか? だれが祝福してあげたのですか? 父母が、してあげるのです。だれが、結婚式をしてあげるのですか?

結婚式というものは、自分の息子、娘の血統を一つにして、父母に似るようにしてあげる式です。ですから、だれが、その式をしてあげるのですか? 堕落していなければ、だれが、してあげたのでしょうか? 父母が、してあげるのです。

しかし、今日の結婚式は、天使長に導かれてきたので、“有名で、社会で名のある人を通して、横にはしごを架けて上がっていこう”と考えるのです。

今からは、皆さんたちが……。昨年の十月十四日を中心として、聖人と、祝福を受けた先生の息子、娘の家庭と、宗教界の統一式をしてあげたのです。分かりますか? そのようにしながら、先生が語ったことが、何かというと、「先生は家庭の王だ。」ということです。何だというのですか? (「『家庭の王』です」)

今まで、家庭の王がいましたか? 天地を代表した、中心の立場に立った家庭の王がいたのですか? 家庭の王になろうとすれば、すべての父母の中で、中心的父母にならなければなりません。

そして、長子の中の長子にならなければなりません。長子の王が、先に家庭を持つのです。分かりますか? そうでしょう? 結婚に“逆婚(兄弟姉妹の中で、年の若いほうが先に結婚すること)”というものがあるでしょう? 結婚を引っ繰り返すことはできません。順序どおりにしなければなりません。

最近では、ろくでもない者たちになっているので、逆さまにして騒いでいます。また、復帰という内容とそれは、呼吸が合うので、このようにも合い、あのようにも合うので、逆さまでも通じるというのです。

本来は、長子、次子と、生まれた順序どおりに結婚しなければなりません。ですから、韓国には「逆婚」という言葉があるのです。それは、いけないのです。その順序が逆さまになれば、引っ繰り返ってしまいます。世の中は、すべてそのようになっています。これを、どのようにして合わせるのですか?

ですから、それが混沌となっているので、最近は親族相姦関係が出てきたのです。姦淫するということです。おじいさんが孫娘と暮らし、義父が嫁と暮らすのです。まったく……。そのような親族相姦関係が出てきたのです。回っていく人は、中心が分からないので、お互いにつかみ合うのです。このようなことを……。

大混乱時代です。家庭的混乱時代、一族、親族を問わず、系列をつかむことができず、一度なのか、ゼロ度なのか、三百六十度なのか、百八十度なのか分からず、お互いに回っていきながら、ゼロ度でも、三百六十度でも、百八十度でも合わせていくというのです。

それゆえに、世界が民族移動して、乱交事件まで起きるのです。今、そうでしょう? 男性が国外に行けば、女性たちとどのくらい相姦関係を結んでくるのか分からないという、乱交時代の局面が展開しているのです。

さあ、このようなことをだれが収拾するのですか? 神様も、エデンの園でアダムとエバの堕落に干渉できなかったし、サタンが結婚することも干渉できなかったのです。それなのに、終わりの日に干渉する方法がありますか? 病の根源を抜くことができなければ、その病のために死ななければなりません。滅びなければならないのです。

それゆえに、反対の偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって、偽りの血統が生じたので、真の父母が現れて、これをもう一度蕩減復帰……。これを否定して、生き残らなければなりません。

それゆえに、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界において、死ぬまで蕩減しても、生きることができる余力があってこそ、生き残るのです。死ぬことを悲しみ、“逃げ出したい”と思う人には、永遠に復活圏がありません。ですから、「死なんとする者は……」、何ですか? (「『生きる』です」)「生きんとする者は……」、何ですか? (「『死ぬ』です」)生きる (「死ぬ」)ああ、それでは、良くありません……。

それでは、もし、神様が“死なん”とする位置にまで行かれれば、どのようになりますか? (「生きる」)生きるのです。神様が“生きん”とされれば、どうですか? (「死にます。」)永遠に希望がないというのです。それは、そういうことです。

神様も、堕落圏内の死んだ立場に閉じ込められているのですが、そこから抜け出すためには、神様も“死なん”とする立場にまで行ってこそ、生きるのです。“生きん”とすれば、神様も何ですか? (「死にます。」)何のことか分かりますか? (「はい。」)先生は、どうですか? 先生も同じです。先生も、“生きん”とすれば死に、“死なん”とすれば、何ですか? (「生きる」)

それゆえに、統一教会の文教主が、“メシヤになろう”、“真の父母になろう”と考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? 考えたのなら、毎日、死ななければなりません。毎日、毎日、「死ぬ。」と言って、大騒ぎしなければなりません。死なない環境ならば、死ぬようなことも成さなければならない、ということにもなるのです。分かりますか?

死なんとする者は、何段階の……。天とサタンが忌み嫌う……。真竹には、節目があるではないですか? 節目ができるのと同じように、節目ができるときには、新しい節目が出てこなければなりません。

大きくなれば大きくなるほど、より大きな節目ができますか、小さいものができますか? 根元の節が太いですか、てっぺんの節が太いですか? 節目がたくさんできればできるほど、細くなるのでしょう? それが理想的です。

ですから、神様も同じであり、真の父母も同じなのですが、“天の国に行く”という人は、どうですか? 同じではないですか? (「同じです。」)朝、重たい冠をかぶったので、額が痛くて、気が遠くなりそうです。早く答えてください。

気が狂うような話です。神様も、“生きよう”という人間の一つの生命を生かすためには、死の場にいる人を生かさなければ、支えることができません。崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を注いで、その基準以上になって、初めて人も生き、神様も生きるというのです。

それゆえに、神様は、何千万回も死の峠を経てこられたのですが、わたしよりも年を取っていらっしゃるので、後になって疲れてしまうのです。一番年を取っていらっしゃるでしょう? おじいさんの中でも大王のおじいさんとは、だれですか? 神様でしょう? ですから、人を救うために、縄で縛って平地に引き上げるにしても、どれほど力を使うでしょうか?

ですから、自分が神様によって引き上げられたとしても、その後で神様は、間違いなく疲れて倒れてしまうのです。そのようになれば、どうしますか? 背負って病院に行かなければならないでしょうか、行ってはならないでしょうか? 病院がなければ、しかたなく、どのようなことをしてでも助けようとしなければなりません。祈祷をしたとしても、死の峠を越え、それを踏み越えていく道しかないという結論が出ました。

ですから、メシヤという人は、あるいは救世主という人は、神様よりも休んで食べているのですか、神様を休ませて食べさせてさしあげ、「自分は、死ぬほどの苦労をしてでも行く。」と言って、神様に侍らなければならないでしょうか? それとも、神様を死なせて、“自分は、休んで食べていよう”という者が、メシヤになるのですか?

ですから、統一教会に入ってきた者たちが、先生よりも……。先生は、死ぬほど苦労したのに、“自分は、休んで食べていよう”という者たちは、天国に行かなければなりませんか、地獄に行かなければなりませんか? (「地獄に行かなければなりません。」)「先生は、私の言うとおりにしてください。先生は、社会のことも知らず、何々をしているのですが、それではいけません。」と、そのような話を聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか?

“生きるか死ぬか”という課題が残っているのに、生きるために、陰で何かをたくらむようなことが通じますか? 一緒に死のうとしてこそ、一緒に生きるのです。それを、一人だけ生きようとしてはいけません。

自分が、“父親は賢いのか愚かなのか分からないが、父親の心は、「息子、娘のために先に死のう」というものであることは間違いない”と思うときには、父親がするとおりに、最後まで行動しなければ、分かれてしまうのです。最後の局面になって、分かれるのです。

父親は“死のう”とするのに、自分が“死ぬまい”とすれば、どのようになりますか? 分かれますか、分かれませんか? 父親の行動と息子の行動が分かれれば、地獄の行動と一体になるのです。そのような行動に従っていったならば、孫でも何でも、おじいさんの懐に入っていくことができず、おじいさんも孫を抱いて、一度もキスできないというのです。それは何のことか分かりますか? 分かりますね? (「はい。」)

皆さんは、今まで統一教会を信じてきましたが、“先生以上、神様以上に苦労しよう”と思った人は、いますか? 

では、先生の言うことを聞きますか?

“ああ、何かがあるらしい”と思って、見物に来たのですか、この困難な峠を踏み越えていくために来たのですか? それが問題です。そこには、個人主義的なコンセプトは必要ありません。そのことを知らなければなりません。ハーバード大学を出た人、エール大学やオックスフォード大学を出たということだけを鼻にかけているような人たちは、必要ないというのです。かえって、労働者や学歴のないような人たちの中に……。

フリーセックスを好む人たちはだれですか? 白人ですか、だれですか? 黒人がそれを好むとすれば、それは、白人から教わったのでしょう? このように思わなければなりません。フリーセックス、ホモ、レズビアン、このような者たちは、エイズにかかって……。

このままでは、世界がエイズと麻薬のために全滅するようになっています。今、アフリカは、二千六百万人がエイズにかかっているというのです。そのままでいれば、今後十五年から二十年以内に滅びるかもしれません。エイズの潜在期間は八年なので、二代ですべて死んでしまうというのです。

ここに付添人として立った百二十人は、自信がありますか? 自信がありますか、ありませんか? 先生についていく自信がありますか? なぜ、「自信がある。」と言いながら顔を隠すのですか? 先生が神様を解放したのなら、あなたたちは、先生を解放しなければならないでしょう? 数多くの国々が、いまだに解放されていないので、あなたたちに百二十か国を解放させようというのです。マルコの家の屋根裏部屋で解放された、イエス様の百二十門徒に当たるのが、世界の国家代表たちです。

先生の時代においては、百六十家庭と百八十家庭なのですが、百六十家庭とは何かというと、世界の国家を神様の元へ取り戻してこなければならない、ということです。分かりますか? (「はい。」)一つの国を取り戻すことができない人は、天の国の代身となることはできません。  

地の王になれば、天の国でも王になるはずであり、正しい行いをすれば、善なる王として、今後の未来においても、王の位置を守っていくことができます。

そして、責任を果たしましたか、果たせませんでしたか? 祝福家庭たちが、南北統一をしようと、すべて統班撃ギヨク破……。統班撃破の責任を、きちんと果たしているのですか? 

統班撃破して、世界が一つになりますか? 国連を残して、世界が一つになることができますか?

あなたたちは、統班撃破をするのですが、わたしは、国連を中心としてNGO(非政府組織)を消化するのです。国連で、NGOが一番の問題です。この人たちが、いちばん難しいのですが、それをする人がいますか?

NGOの責任者や国家の代表者たちと比較してみれば、自国の政権を中心として、社会の悪がどうだこうだと、とやかく言っているのであって、先生のように、「未来の世界において、このように国連が統一され、共産主義を料理する問題はこうだ。」と言う、このようなことは、あまりにも次元が高いのです。ですから、聞いてからもぼーっとして……。

そして、「内容を知らなければならないでしょう? それでも反対するのならば、しなさい。」と言うと、「正しいことは、正しいです。」と言うのです。

青少年の淪落と家庭破綻、エイズの問題をどのように解決し、純潔な血を、どのようにして残すのですか? それは、自分たちでは分かりません。「それに対する解決方法だ。」と言うと、反対しようとしますが、大統領や国連事務総長など、何を知っているというのですか? 「これは、うそだと思うか、真実だと思うか? この者たち」と尋ねれば、「真実です。」と言うのです。頭をこのようにして、手を挙げるというのです。

あなたたちは、入籍する自信がありますか? ここで、神様と興進君とイエス様が一体となっているのと同じように、わたしが神様の位置ならば、興進君はイエス様と同じです。

“三角地帯”に下りていって、事故に追いやられて死にたくなければ、今から教育して、教育にパスしなければなりません。そのような考えをしなければならないのです。入籍修錬を受けましたが、教育にパスするために課題を残して、条件的に入籍したということを知らなければなりません。分かりますか?


さあ、それでは、きょうの主題は何ですか? (「『神様王権即位式』です。」)「神様王権即位式」なのですが、即位式をする前に必要な話は、もう終わりました。分かりますか? “死なん”とする道を行かなければならない、ということです。  

それでは、あなたたちも、今から息子、娘たちと自分たちの先祖、金キム氏なら金氏の先祖即位式をしなければなりません。分かりますか? 朴パク氏なら朴氏が集まって、「朴氏先祖王権即位式」、そうでなければ、「長官(大臣のこと)即位式」をしなければなりません。しようとしてできなければ、「局長即位式」でもして、初めてその国の所属になるのです。そのような競争時代に入ったということを、はっきりと話してあげるのです。分かりますね?  

それでは、“生きん”とする人は、望みがありますか、ありませんか? (「ありません。」)ある (「ありません。」)この者たち、「あります。」です。(「ありません。」)そのようなこと(“生きん”とすること)を願っているではないですか? 分かりますか?  

はっきりと知ってください。もう、はっきりと分かったと思うので、今から、「神様王権即位式」以降に成すべき条件を、はっきりと教えてあげます。  

問題は何かというと、血統が問題です。「血統」と言ってみてください。(「血統。」)血統 (「血統」)英語では、何と言うのですか? ブラッド・リニージ(blood lineage)です。もう一度、言ってみてください。(「ブラッド・リニージ。」)それが、最も重要なのです。  

自分の国の王は、それ以上に重要なのではありません。偽りの父母も必要ありません。社会組織も建物も何でもありません。学校も何でもありません。今、この世界にある多くの国は、神様に属しているのではなく、サタンに属しているのです。  

もう、ほかに方法がありません。神様に従い、真の父母に従う道にしか、中心の位置がないですか、ありますか? (「ありません。」)アメリカ大統領であるジョージ・W・ブッシュ大統領が、アメリカの中心ですか? ゴアと闘って、得票はゴアのほうが多かったのです。選挙人団、そのために負けたのです。終わったというのです。  

アメリカは、CIA(米・中央情報局)やFBI(米・連邦捜査局)を中心として、弱小国家に対して「民主主義と両院制を選択しなさい。」と言ってきましたが、今からは、そのように言うことができません。「自分の国のことをきちんとしろ。だれのためにここに来て、大きなことを言っているのか?」と言われるのです。民主主義がなければ、今から西洋の人は、どのようにして生きていくのですか? 分かりますか?  

それで、わたしが思うことは、四年制から八年制にしたほうがよい、ということです。分かりますか? 四年間で政権が交代するので、そのための競争をしながら、どのようにして仕事をするのですか? そうして皆、国の財産を食いつぶしてしまうのです。  

ですから、八年です。一つの峠が八数なので、八年間にするのです。そして、男性と女性がいるので、民主主義的にしようとすれば、十六年間は勤めなければなりません。  

また、家庭を中心として二倍にすれば、三十二年間です。三十二年間勤めて、初めて死んだ国でも生かすことができる可能性があるのです。四年間で、どのようにするのですか


二年もたたずに選挙運動を始めるので、滅びるのです。そのような形での民主主義をしていては、すべて滅びます。分かりますか? 原理が許しません。

今後、王圏時代に入っていくのですが、どのようにして入っていくのですか? 四年を八年にして、男性と女性がいるので、八年を十六年にし、一次、二次とすれば、三十二年です。そうして、三十二年間、することができるようになれば、天下の王……。

王の中で、三十二年間も王であり続ける人がいますか? (笑い)ですから、王圏に戻っていくことは、問題ありません。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」)

労働者と農民にユニオン(労働組合)があるのと同じように、株主のユニオンをつくるのです。そうして、「自分たちの家庭の妻や子供たちを、きちんと食べさせていかなければならないので、去年の生産量よりも、今年はもっと増やさなければならない。そのために、わたしたち株主ユニオンと、あなたたち労働者ユニオンが、一緒に競争しよう。」と、言うのです。

このようにして生み出した利益は、三年間、主人に与えずに自分たちで分け、労働者のユニオンが一所懸命にしたら、その分の何パーセントかを多く与え、株主のユニオンが一所懸命にしたら、その分、多く与えるのです。このようにすれば、けんかをするでしょうか


西洋社会で、このような考えをする人はいません。分かりますか?

それが、できないときには、レバレンド・ムーンが、「宗教連合の世界組織よ、集まれ。」と言うのです。全世界が祝福を受けたので、「祝福家庭、集まれ。今から、私たちで宗教ユニオンをつくろう。」と言えば、つくることができますか、できませんか? 「宗教ユニオンをつくりましょう。」と言えば、つくりますか、つくりませんか? (「イエス。」)「はい。」と言わなければならないでしょう?

わたしにアメリカを任せてみなさい、というのです。三年から七年以内に、すべてきれいに整理できます。それは、可能な話ですか、不可能な話ですか? (「イエス。」)希望的な話ですか、絶望的な話ですか? (「イエス。」)この者たち、ユニオンが何だというのですか?

ですから、ユニオンも退きなさいというのです。そのようにすれば、共産党も退いていくのです。

さあ、先生の話したとおりにすれば、社会悪を造成するユニオンを追放することは可能ですか、不可能ですか? (「イエス。」)ポッシブル、インポッシブル? (「ポッシブル。」)分かっていることは分かっているのですね。では、インポッシブルが強いですか、ポッシブルが強いですか? (「ポッシブル」)

今から、それをしなければなりません。わたしがブッシュ大統領に会ったら、「わたしの言うとおりにするのか、しないのか。」と、激しく詰め寄らなければなりません。先生にそのような度胸がありますか、ありませんか? (「イエス。」)イエスなのかどうか、どうして分かるのですか? 



とにかく、あなたたちは、初めて来て、先生からこのような話を聞いたので、気分が良いでしょう? 遠く太平洋を越えて、“ああ、今度は十日もたたずに、『また来い。』とはどういうことだ? お金もないのに、先生は一銭も助けてくれないのは、どういうことなのか?”と、思うでしょう。

国が救われ、世界の解放が展開し、退廃主義的な世界がなくなり、天の国が建国されるのに、千回、万回、飛んでくることができないことのほうが恨でしょう? さあ、帰るときに喜んで帰りますか? “ああ”と思いながら、絶望して、すっと肩を落として帰りますか? (「ハッピー。」)「ハッピー、ハッピー。」と言って、喜ぶのですね。

今ではもう、このように見ようと、あのように見ようと、好きでも嫌いでも、東洋人であろうと西洋人であろうと黒人であろうと、人という人は、文総裁の言うことを聞かなければ、このようにしても混乱し、あのようにしても混乱し、引っ繰り返しても混乱し、まっすぐにしても混乱し、すべて混乱するというのです。

ですから、初めから混乱した立場に立たずに、きょうから新しく決意するのです。一度決意すれば、いくら困難な迫害に遭ったとしても、それを変えてはなりません。

(英語で説明された後、韓国の教会員に向かって)あなたたちは、何の話か理解できましたか? (「はい。」)「はい。」と言った人は、勉強した人であり、「はい。」と言わなかった人は、勉強しなかった人です。

英語が分からなければ、この鼻っ柱の強い人たちを懲らしめることはできません。(笑い)

(付添人が、礼服の上にピンクのチョッキを着ていることについて)この服は、イエス様の花園の色を着ているのですね。それは、何かというと、イエス様を象徴するのです。“白”は、神様を象徴します。“緑”は、聖霊を象徴します。すべて青です。海も青く、山野も青く、空も青です。それは、聖霊の色です。そこに花があれば、ピンクの花です。白い花とピンクの花が調和しているのは、美しいのです。とても目が引かれます。

さあ、ですから、自分たちがそのような服を着たのですから、それに恥ずかしい者になってはいけません。今からは輝く花になり、飛んでいった虫やちょうたちが、飛んで近寄ってくるような輝きを持った皆さんとなることを、先生は願います。何ですか? (「アーメン」)一度、そのようになってみてください。

わたしが言ったことを、家に帰ってからできないという人は、いますか、いませんか? (「いません。」)「一族を中心として“総生畜献納”を行うのです」と言ったのに、なぜ、しないのですか? そのようにしなければ、この場に参席できません。

「祝福の中心家庭だれだれの名によって報告いたします。」という人は、家庭から氏族、民族、国家、世界、天宙まで、アダムとエバが破綻させた家庭をすべて収拾し、自分の一族を中心として、国までも収拾してささげるのです。

氏族基盤は、国を建てるためのものなのですが、氏族の基盤を国にささげ、その国が、サタン世界の行政組織よりもりっぱでなければならず、その機関よりも優れていなければなりません。サタン世界の先進国に王宮があるとすれば、それよりも、もっと素晴らしい王宮をつくらなければならないようになっています。分かりますか? (「はい。」)何のことか分かりますか? (「はい。」)

総生畜献納基金は、絶対に、自分たちで使うようにはなっていません。先生も、自分では使いません。あなたたちの万代の後孫、子孫、天地の民が、思いどおりに喜んで休息することができる空間を持ったビルディングをつくらなければなりません。神様の国ができたときには、政府機関をつくらなければならず、政府の庁舎をつくらなければなりません。

サタン世界の政府の庁舎よりも、神様の王宮がみすぼらしくなければならないでしょうか、何十倍、何百倍もりっぱでなければならないでしょうか? (「りっぱでなければなりません。」)

生涯、飢えてはいつくばりながら暮らしたとしても、自分の一族で、そのようなものをつくっておかなければ、天国に行く面目がありません。先生の前で面子が立ちますか? それにもかかわらず、自分の親戚や一族を伝道せずにほうっておくのですか?

神の国ができれば、大使館をつくらなければなりません。それから、学校をつくらなければなりません。祖国の教育をしなければなりません。それから、教会をつくらなければなりません。祭祀の法を教えてあげなければなりません。そのようにしてから、自分の家を建てなければなりません。そのようにしなければ、負債を負った者だということです。

先生に土地がありますか? 先生に所有権がありますか、ありませんか? 教会が、先生の名前で所有されているものは、わたしのものではありません。あなたたちが、先生の名前で所有することを願ったので、そのようにしたのです。

わたしがアメリカに住んでいれば、世界で先生の名義になっているものは、すべて報告して税金を払わなければなりません。分かりますか?

孝子とは何ですか? 父母が死ぬ立場にいれば、代わりに死ぬのです。忠臣とは何ですか?


国王が滅びれば、代わりに滅び、死ぬとすれば、先に死ぬのです。聖人も同様であり、聖子も同様ではないですか。それは違いますか? 違うと思う人は、手を挙げてみてください。この者たち。(笑い)耳が引っ繰り返ったようですね。ほかのことを考えて寝ていたか、目を開けていても、ほかのことを考えて見詰めていたのですね。(笑い)

何時ですか? 九時ですね。十時までです。もう一時間だけ続けましょう。七時から二時間かかったので……。あの帽子(冠)は、何でつくったのか、なぜあのように重いのですか? (笑い) 真鍮の器をつくるものでつくったのか、銅でつくったのか、食器をつくるものを何というのですか? 真鍮でつくったのかもしれません。これが、どれほど重いか分かりません。(笑い)

祈祷していて、祈祷の内容をすべて忘れてしまいました。(笑い) ですから、先生の威信が立ちましたか、立ちませんか? (「お立ちになりました。」)先生は威信を立てたのですが、あなたたちは、重いものもかぶらずに楽にしながら、一緒に立って威信を立てましたか? 

さあ、ですから、話したいでしょうか、話したくないでしょうか? ここには、話して暮らしていく人たちが、たくさん集まっているのですが、つらくて、話すのも面倒だったのです。分かりますか? ですから、内外共に重要なことは、手帳を取り出して、永遠に記録しておかなければなりません。


今年の標語は、何ですか? 「解放された天地父母と子女が……。」「子女」とは、“解放された子女”のことをいうのです。「解放された子女が一心一体となって……。」そこに、水が入り込むことができる、すき間がありますか? 空気が入り込むことができる、すき間がありますか? 太陽の光が入り込むことができる、すき間はありません。そうでしょう?  

そして、「一心一体となって」、それから何ですか? (「真の愛……。」)真の愛です。一つになるのも、一心一体となってこそ、一つになるのです。天地父母が、一つにならなければなりません。父母と子女が一心一体となってこそ、真の愛が生じるのです。そうでしょう? 一心一体となって、真の愛です。  

真の愛とは、何ですか? 主体的中心です。「中心的主体性であるみ旨が完成されますように。」これは、一年だけの標語ではなく、三〇〇〇年までの期間、だれもが、これを守って実行しなければ、不可能なことです。  

うまく標語を決めましたか、決められませんでしたか? 頭の悪い先生でしょう? 今回、祝福を受けましたが、それを何というのですか? 「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。それで、すべてが含まれているのです。  

今日、この新千年時代に、すべて解放されました。神様も解放され、真の父母も解放されました。解放された天地父母と子女が解放されたので、恐れてはいけないというのです。監獄に入っても恐れるなというのです。  

ああ、自分がその中が気になるので……。早く天国に行きたいのですから、若くして行けば、どれほど良いでしょうか? 損をしますか? 天上天下のすべての宇宙が自分の手に入ってくる主人になるのに、なぜ否定するのですか? 死ぬか生きるかは心配いりません。そのようになっていなければなりません。  

先生は、食べるものを求めていきますか、み旨を求めていきますか? 食べるものに従っていきますか、み旨に従っていきますか? (「み旨に従っていきます。」)み旨は見えますか、見えませんか? 神様は見えますか? 愛は見えますか? 生命は見えますか? 

血統は見えますか? 良心は見えますか? 見えません。見えないのです。  

見えないので、考えない人には分かりません。夫婦生活をしてこそ、妻がいなくても、妻を連れて歩くのです。従っていくというのです。そうでしょう? あなたたちもそうですか?あなたたちはどうですか? (「そうです。」)  

さあ、わたしに五感を売りますか? 売りますか、売りませんか? それを買って、何をするのですか? 修理して、目が悪ければ、完全な目に、鼻が悪ければ、鼻の手術、口の手術、耳の手術、手の手術をして、くっつけるので、売りますか、売りませんか?  

世の中に、そのような商売がどこにありますか? 買ったものを良くして返す、そのような商売がどこにありますか? 生きた人が、損をします。いつも天は、そうです。父母も、そうです。父母は、子女が多ければ、負担が多いのです。一度に十人に会えば、よいのですが、十人と毎日のように会えば、いつも懐をはたかなければなりません。  

ここに、三人の息子が来ているのですが、「ああ、昼食でも夕食でも、ご父母様と一緒に、家族水入らずで食べたことが一度もありません。今回、良い時が来るというので、どうかそのようにしてください。」と言うので、三日間、長男から一人ずつ食事をしたのですが、「一番良い所に案内する。」と言って、三人とも中華料理屋なのです。そこに先生は、行かなければなりませんか、行ってはなりませんか?  

中華料理屋には、何年も行っていなかったのですが、三日間も続けていったので、先生の心は平安でしょうか、平安ではないでしょうか? 息子、娘と約束したので、行かざるを得ません。一日目も食べ、二日目もまた食べ、三日目もまた食べ、飽きるほど食べたので、油気が……。  

おなかがほっそりしていて、油気を受け入れられない人は、皆、おなかをこわしてしまうのです。お母様のおなかと、先生のおなかと、どちらが丈夫でしょうか? お父様のおなかは、ぴんぴんしているのですが、お母様のおなかは、故障してしまいました。  

どこに行ったのですか? 今も、いないでしょう? どこかに行って休んで……。休むよりも、座っているのが大変なので、わたしが、「大変ならば、中に入りなさい。」と、約束したのです。ですから、「なぜ、きょうのような貴い日に、お母様はいないのか?」と、思ってはいけません。  

そして、お母様は一時間たてば、トイレに行くのです。いくら恥ずかしくても、行かなければ大変なことになるのです。ですから、いくら先生が横にいて、天下が見詰めていても、一時間たてば、「わたしは失礼します。」と、さっと出ていかなければなりません。そして、「入ってくるのが申し訳なければ、後ろで、マイクを通して聞き、そのようにすれば、一緒に参席したと認める。」と、約束しているので、そのようにしているのです。  

いつも、お母様は席を空けるのです。だからといって、統一教会の女性たちが、“わたしもお母様のように、そのようにしよう。”と思ってはいけません。分かりますか? 女性で、“いけない”ということを“守ろう”という人は、手を挙げてください。手を挙げてください。守らないのですか? 守りますか、守りませんか? “守らない”という人は、手を挙げてください。何のことか、分からないのですね。(笑い)  

さあ、もう一度、“お母様はそのようにしても、わたしはお母様が守れない時間でも、夫の前に、息子、娘の前に手本になる”という女性、結婚した女性は、手を挙げてください。これは何ですか? なぜ、男性が手を挙げるのですか? (笑い) さあ、下ろしてください。分かったでしょう?  さあ、きょう、即位式を行うことによって、国が変わりました。み旨の道において、心配しますか、しませんか? (「しません。」)それでは、だれが心配しなければなりませんか?  

神様は、今までみ旨の先頭に立つことができずに、恨を抱いておられたというのです。分かりますか? 自分が、“したい”と思うとおりにできない恨が染み込んでいるのです。神様が“したい”と思うとおりにすることができるように、後援部隊になり、このように言わなければなりません。  

「神様、なぜこうなのですか? 今朝は、何か忙しいことがあって、わたしよりも早く降りていかれるのですか? 私を起こして、連れて行かなければならないでしょう? 今までは、私が神様を起こしてあげるために、このように苦労してきたのですが、これからは、入れ替わる時ではないですか? 真のご父母様は、息子(=私たち)よりもりっぱなのに、息子、娘(=私たち)よりも苦労して、やっとのことで即位式をしてくださいました。ですから、即位式の権限を中心として、一声、号令すれば、天下が、するっと巻き込まれていくのに、なぜ、行使されないのですか? わたしが案内します。」  

案内することができるでしょう? 行使はできなくても、案内はできるでしょう? 案内できますか、できませんか? (「できます。」)  

さあ、今は、時が変わりました。行わずに心配する人は、死んだほうがましです。今、わたしが何と言いましたか? (「『行わずに心配する人は、死んだほうがまし』です。」)明らかに成すべきことを知っていながら、それでも心配する人は、死んだほうがましです。死にますか、死にませんか? (「死にません。」)“全員が死んだとしても、自分だけは残る。”と、このように思わなければなりません。  

あなたたちは、どのように個人完成するのか知っているでしょう? 知っていますか、知りませんか? 柳光烈ニヨル氏。どのようにして、個人の心と体が一つになるのか、知っているでしょう? 知っていますか、知りませんか?  

堕落するとき、サタンの血統を受け継いだ体と、堕落するときの愛が、堕落していない、愛を知らない良心の力よりも強かったというのです。これが問題です。  

どのようなことがあっても、体のしたいとおりにしてはいけません。「こいつ、こいつ。」と言って、涙を流しても、「こいつ。なぜ、涙を流すのか? 『ありがとう』と言って、感謝しなければならない。」と、言わなければなりません。  

“死ぬまい”とするなら、「早く殺してください。」と言い、血が出てこなければ、「血を抜いてください。むちではだめです。やりで横腹を刺してください。」と、言わなければなりません。イエス様も、そうではないですか? 死なないので、やりで刺したのです。血を抜き出したのです。祭物になろうとすれば、清くならなければなりません。  

女性たちが、たくさんいるのに、なぜ、わたしのパジ(韓服のズボンのこと)が落ちるのですか? 見てはいけません。力をぐっと入れたら、さっと落ちたのです。ああ、なぜ笑うのですか? この者たち。娘たちがいるのに、父親のパジが落ちて、このようにおへそが……。  

最近の女性たちは、おへそを出して歩き回っていますね。父親のおへそが出たからといって、天地に恥ずかしいことがありますか? そうでしょう?  

今から、守るべき鉄則とは何かというと、一番目は、いかなる死ぬような出来事があったとしても、血統を汚してはいけない、ということです。何の話か分かるでしょう?

(「はい。」)全員、分かったのなら、二度も言ったら忘れてしまいます。分かりますか? (「はい。」)  

二番目は、人事処置を間違ってはいけないのであり、人権を蹂躙してはいけない、ということです。男性であれ女性であれ、黒人であれ白人であれ、皆、平等です。人権を差別せず、人権を蹂躙してはいけないというのです。  

それゆえに、責任者……。ここに統一教会の責任者たちが集まっていますね? 自分がどこどこの教区長であれ、どこどこの国家メシヤであれ、自分と気が合えば人事処置をせず、気が合わなければ人事処置をする、そのように自分勝手にすることはできません。  

教区長よりも、国家メシヤよりも、善なる先祖を持った人が、いくらでもいるのです。何代もたたずに、大統領になることができるような人の首を切ってしまえば、自分の先祖がすべて、がたがたっと崩れていくのです。ですから、先生は、人事処置をあまりしません。上の方にいる人たちについては、くじ引きをするのです。分かりますね? (「はい。」)  

人権を蹂躙してはなりません。ですから、先生は、黒人だ何だと差別したり、大学を出たとか、そのようなことですべてを決めるのではありません。人権を正しく指導する真の愛を持って、ために生きる愛を持って暮らす人が、主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想を、すべて流してしまうことは、許すことができません。罪の中で二番目の罪です。分かりますか? (「はい。」)  

三番目は何かというと、公金を盗んではいけない、公金を自分勝手に使ってはいけない、ということです。この三つです。  

監獄に入ってみると、そこにいる人の七〇パーセント以上の人が、これらのことゆえに監獄にいるのです。分かりますか? 血統を蹂躙すること、これは男女問題です。人権を蹂躙し、そして、金銭問題です。そして、権力問題です。お金と知識と権力が、怨讐なのです。分かりますか? (「はい。」)  

天の国の憲法第一条は何かというと、「血統を汚してはならない」ということです。血統を清く保存しましょう。純潔の血統を永遠に守りなさい、ということです。  

今、祝福を受けた、その血統は神様の血代なのですから、神様の愛と神様の生命によって受け継いだものを、今までの堕落世界の習慣性に浸った行動で汚してはならないのです。分かりますね? (「はい。」)それを守ることができますか? (「はい。」)  

男性女性を問わず、横にいる人が夫婦ならば、お互いに見詰め合い、いなければ一人でも良いので、間違いなく守ることができる夫婦、完全に血統を汚さないという人は、目を閉じて決意してください。神様だけを見て、力いっぱい手を挙げて、万歳 (「万歳」)  

きょうの記念日を忘れてはいけません。分かりますか? 分かりますか? 夫婦でけんかしても、「正月十三日、十三数」と言えば、体の力が抜けて、ぐたっとならなければなりません。  

西洋では、「十三」と言えば、最も悪い数です。それは、十二か月の十二数に、その中心点、中央数を加えた数です。中央に十二か月が入っていれば、天地の道理が、循環しなければなりません。しかし、これがないので、すべて混乱し、逆理的混乱世界になっているのです。これを正すということが、天が願っていることなのです。  

ですから、それを知ったならば、千回、死ぬようなことがあったとしても、これを守らなければなりません。この時間を、鉄のような決意をする時間として受け入れるのです。手を下ろしてください。分かったでしょう? (「はい。」)  

二番目は、「人権を蹂躙してはならない」ということであり、三番目は、「公金を盗んではならない」ということです。それは、国家財産横領です。  

どこかに行って、ビルから金塊が落ちてきたとしても、それを使えば、横領です。それを自分勝手に使うことはできません。それは、公的な“公金”です。何のことか分かりますね?  

先生は、皆さんが金品を持ってきても、受け取りません。お母様を通して受け取ったとしても、わたしは使いません。それは、毒薬よりも、もっと恐ろしいのです。あの世に行って、がちっと引っかかってしまうのです。  

きょう、この中で引っかかる人がいれば、全員、悔い改めなければなりません。今年(陰暦二〇〇〇年)が終わる前に、です。分かりますか? (「はい。」)  

最も恐ろしいこと、憲法の第一条とは何かというと、「純潔な血統を守らなければならない」ということです。汚してはいけません。  

ですから、女性たちは引かれていく素地が多いので、いつもナイフやカミソリを持っていれば、相手の手につかまれた所の近くを、「ええい、どうにでもなれ。」と言って、切ってしまうのです。そのようにすれば、助かるのです。それでもだめならば、自分の首を切るのです。それくらいの心構えが必要です。このように、純潔を守ることは、生命よりも貴いことなのです。  

さあ、理想的な夫婦ならば、自分の夫や妻が、他の男性や女性と、このようにするのを喜びますか? 黒人はどうですか? 白人はどうですか? 白人 どうですか?  

あなたの妻が、他の男性の横に行ってもよいのですか? 横に座っているのは、あなたの妻ですか? 違いますか? 妻ではないですか? 妻ですか、夫ですか? なぜ、そこに座っているのですか? どこに行ったのですか? 夫はどこに行ったのですか?   

分かりますか? 一番が何ですか? 純潔 二番は何ですか? 人権乱用禁止 三番は何ですか? 公金横領禁止です。  

きょうのこの記念日に、天の国の王権を維持するために、皆さんが王圏の前に民となるために、また、父母となるために、妻子となるために、兄弟となるために、これが絶対に必要なのです。  

それゆえに、兄を無視することはできません。弟の体が不自由だからといって、弟を無視することはできません。親戚を無視することはできません。世の中は、すべて無視するでしょう? 知識があって、有名大学を出たという人は、高卒の人でも無視してしまうのです。これは、人権蹂躙になるのです。  

それから、公金です 国家財産の横領、これは罪です。公金です。先生のポケットにお金があれば、いくらであっても抜き出して使おうとするのは、公金横領です これは、すべて犯罪です。  

ここにいる郭クアク錠煥氏も、予算を申請すれば、“いくら使います”という中に、何パーセントかは、自分が必要とするものを含めて請求するのです。  

さっともらって、それが余り、「これは、私が使います。」と、報告すれば、かまいませんが、そのままにしておけば、問題が起きるのです。引っかかってしまいます。行く道が、茨の道になり、鉄条網が張られるのです。分かりますね?  

先生は、絶対にそれを使いません。献金されたとしても、それには手も出しません。それでは、どのように暮らすのですか? 自分でお金を稼いで暮らすのです。車が必要ならば、そのためのお金を稼ぐことができるのです。分かりますか?

ですから、一番目は、「純潔を守りなさい」です。分かるでしょう? (「はい。」)特に西洋の食口たち。どのようにして、純潔な血統を維持するのか、ということです。では、二番目は何ですか? 「人権保護」です。人権を保護し、三番目は何ですか? (「『公金横領禁止』です。」)

あなたたちは、働きもせずに、“ああ、先生が一月に一度ずつ、一週間に一度ずつ、家に来てくれればよい。”と思うでしょう? かわいそうな統一教会の教会員は、何人にもならないのに、どうして、ここに来て、補ってあげるのですか?  

ここに、問題を抱えた人たちが来て、規則も守らずに、楽な所に行って寝ようとするのは、すべて横領です。公的な環境を破壊します。国家財産を横領することと同じだというのです。分かりますか? (「はい。」)恐ろしいのです。  

そのように生きる人は、いくら、うまくやろうとしても、できません。そのように生きてみなさい、というのです。いくら神様の前に祈祷しても、伝道できません。人が門の前に来ても、戻っていってしまうのです。  

負債を負う人は、すべての天下が嫌います。分かりますか? あなたは、負債を負うのが好きですか? 父親が負債を負うのが好きですか? あなたの親族の中で、金キム氏なら金氏の家門の中で、問題を起こして、負債を負うことを好む人が、どこにいますか? 後から捕まえて、逆さまに刺し込まれるというのです。そのような時が来るのです。  

この三つです。分かったでしょう? (「はい、分かりました。」)この三つです。一度、数えてみてください。内心で決意したことを、一つ、二つ、三つ。一つ、二つ、三つ。一つ、二つ、三つと、何度も数えてみてください。そのようにしますか?  

純潔の平準化、人権の保護、それから国家財産を横領しないこと、すべてを理解して、それが習慣にならなければならないでしょう? 口さえ開けば、目さえ開ければ、そのような言葉が出てくるようにしなければ、そのような正しい行動はできません。もう、すべて話し終わったでしょう? 一所懸命に話したので、十時に終わるようになりました。  

さあ、これだけはしましょう。分かりますか? これに付け加える話をするとすれば、わたしが生涯、愚かな人や、ありとあらゆる人を連れて生きてきたので、何らかの事情がないでしょうか? 皆さんが生きていくにおいて、何らかの事情がないでしょうか? そのような事情が多いはずです。  

しかし、そのような法に引っかからないようにしようと努力すれば、抱えているすべての事情に、すべて打ち勝つ人になるので、先生が言わなくてもよいのです。アーメン (「アーメン」)終わりました。  

さあ、それでは、どのようにしなければなりませんか? どのように生きていくのですか? 

幸福に暮らさなければならないでしょう? 一人で生きていくことを、「幸福に暮らす」と言うのですか? (「共に生きなければなりません。」)共に生きるのですが、幸福に暮らすことの中には、何があるのですか? 神様の公式法度として立てられたものの中で、幸福に暮らすことができるのです。  

それでは、どのような環境、どのような人たちとともに暮らせば、「幸福に暮らしている」と言えるのですか? 簡単です。それも三つです。父子関係、夫婦関係、兄弟関係。兄弟関係は、夫婦の前では子女になるのです。ですから、子女関係であり、兄弟関係です。  

それゆえに、自分の家庭を中心として、父と母がいて、それから、自分たち夫婦がいて、息子、娘がいるので、兄弟関係と、そして、父母の前に自分がいれば、兄弟関係と同じように、親族の四親等、八親等が、すべて自分に連結されてくるのです。  

ですから、父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟関係は、自動的にできるのです。「子女関係」の代わりに、「兄弟関係」と言ってもかまいません。分かりますか? これが、彼らと一つになって、幸福に暮らさなければなりません。  

幸福に暮らすためには、幸福に暮らすことができるように指導しなければなりません。お互いが手本にならなければなりません。それが、“幸福に暮らす”ということです。手本になっていなければ、それは、不幸せに暮らしているということです。負債を負っているのです。父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本となるように暮らせば、幸福に暮らすことができるのです。  

では、幸福に暮らせば、どのようになりますか? 天の国の王がいて、地上の王がいれば、その王たちが幸福に暮らす家庭を訪問する日が……。毎年、年の初めに訪問しなければなりません。分かりますか? その国で最も幸福に暮らす家庭を表彰する時が来るのです。

表彰するときには、そのように暮らした三代が、それぞれ夫婦となって、四位基台理想を成した家庭が授賞されるのであり、国においても、先に授賞された家庭が、後代に賞を授与することができるのです。  

そのように、先に授賞された家庭が、賞を授与することができる責任者の王を代身し、国の中心となる大統領家庭を代身して、賞を授与する時が来るのです。分かりますか? (「はい。」)  

これも三つです。父子関係、夫婦関係、子女関係です。子女関係が嫌ならば、兄弟関係です。兄弟関係が一つになることによって、子女たちがそれを見て、それに似ていくのです。

それゆえに、兄弟関係でも子女関係でも、共同責任の下で和合して、影響を及ぼして、主体的な立場に立った人になれば、だれが天の国に行くとしても、その人を通さずしては行くことができません 正しければ「アーメン。」と言い、正しくなければ「ノーメン。」と言ってください。(「アーメン」)もう一度、手を挙げて、言ってみてください。(「アーメン」)アーメン (「アーメン」)アーメン (「アーメン」)神様即位、千年万年、万々歳 (「アーメン」)(拍手)

この三つさえ……。今から、この法において、天下にいかなる無念なことがあったとしても、この法に背かず、死の境地、逆賊が押し寄せて死ぬことがあったとしても、これを守っていくならば、間違いなく、天の国の皇族圏に入り、どこに行っても自由、統一、解放の家庭となるのです。分かりますか? (「はい。」)  

きょう、このことを肝に銘じてくださることを願います。分かりますか? (「はい。」)  

これを標語として、三〇〇〇年標語の中で、純潔血統、それから人権平準化です。分かりますか? それから、国家の公的財産横領をしてはならない、どろぼうになってはいけない、というのです。  

それから何ですか? 「手本になろう」です。父子間において、夫婦間において、子女間において、手本になるのです。「子女」は、「兄弟」と言ってもよいのです。先に兄弟が、そのように暮らせば、子女たちが見習います。そうではないですか? 自分の親戚、親族が幸福に暮らせば、息子、娘が見習うようになるのです。ですから、手本にならなければなりません。  

そのように暮らせば、町内じゅうの人が皆、「あの人に従っていかなければならない。」と言い、「あの人のように暮らしたい。」と言えば、その人は、間違いなく天国の民となり、天の国に記憶される人になる、ということは間違いありません。(「アーメン」)  

先生自身も、そのように暮らしています。自分のおじいさんと、おばあさんに侍ることができなかったので、どこに行っても、おじいさんとおばあさんがいれば、昼食のときに、“パンの一つでも買ってきてあげたい。”という心を、いつでも持っているのです。  

ですから、つらくても天が協助してくれるので、版図がどんどん広がっていくのです。そうしていけば、どこに行っても、先生のために生きてくれるという人が、どんどん増えていくのです。  

そのようにして、十年暮らしてみると、谷間で、共同墓地に行く日を待っていたおじいさんとおばあさんまでも、自分の訪問を待ち焦がれ、町内の犬までも、ほえずに、自分だけにずっとついて回るのです。分かりますか?  

町で声を上げても、犬がほえずに寄ってきて、ぺろぺろなめてくれるように、善なる生活をすれば……。  

もちろん、人間たちもそうだというのです。人間がそのようにすれば、主人が愛する人なのですから、なぜ、反対するでしょうか? 喜んで、そのようにすることができなければなりません。  

そのようになれば、通りすがりの鳥もそのようにし、すべてそのようにするというのです。それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しいです。」)  

皆さんは、先生と一緒に暮らしたいですか? (「はい。」)毎日、もち米をつくように、おしりを三発ずつたたいても、それでも一緒に暮らしますか? (「はい。」)そのようにたたかれれば、蕩減儀式の代わりになるのです。そうでしょう? たたかれても、損害を被ることはありません。悪口を言われても、損害を被ることはありません。分かりますか? (「はい。」)  

さあ、そのように理解して、きょうの「神様王権即位式」において最も重要であり、人間が公人として守るべきであり、内的、外的に家庭に入っていっても、国に入っていっても引っかかることのない、“解放者”になることができる三つのことを語ってあげました。ですから、この日に、正に覚えておくに値する内容であるということを肝に銘じ、それを標的として生涯を生きてくださることを、先生自身がお願い申し上げます。(「アーメン」)(拍手)  

「アーメン。」と言うのは、「み言のとおりに成されます。」ということです。まだ、成されていません。ですから、「アーメン。」と言い、「申し訳ありません。」と言うのです。そうして、「見ていてください。」と、そのように言わなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

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